【九州プロレス】公式ブログ 

九州プロレスの最新情報をお届けします!

筑前りょう太


“九州の若大将”
筑前りょう太
<RYOTA CHIKUZEN>



①出身地…福岡県志免町
②身長…186cm
③体重…110kg

④プロレスデビュー戦…
1998年1月4日、AAAメキシコ・アステカブドーカン対ミル・マスカラス&ブルーデモンjr.(パートナーはアイスキラー)

⑤得意技…
とぶばい(フライング・ボディプレス)、かつぐばい(アルゼンチン・バックブリーカー)、まわるばい(スプリングブレイド)、がつんといくばい(ラリアット)

⑥意気込み…
目指すのは「九州の九州人による九州のためのプロレス」。やるバイ!


⑦寸評…
本名は椎葉亮司。九州プロレス創設者であり、リング上ではエースを務める。

「プロレスができる大学」(筑前・談)ということで選んだ九州産業大学では、プロレス同好会(現・プロレス研究部)に所属し、ウエイト・トレーニングとレスリングに熱中。入学時60kgだった体重が卒業時には100kgを超えるまでに鍛えぬいた。

大学卒業後は、メキシコへ。日本でも著名な覆面レスラー、エル・カネックに師事し、プロレスラーとしての基礎を学ぶ。その恵まれた体格と運動神経が目に留まり、プロレスデビュー戦の相手を、メキシコの国民的スター、ミル・マスカラスが務めた。その後、メキシコ最大手の団体AAA(トリプレ・ア)と契約。メキシコ・マットで貴重な重量級のスターとして活躍した。

2001年に帰国。世界最大の団体WWEで活躍していたTAKAみちのくに誘われ、彼の設立したKAIENTAI-DOJO(カイエンタイ・ドージョー/以下K-DOJOと略)へ合流。この時期には肉体改造にも成功。メキシコで培った跳躍力に加えて強靭なパワーを身に付けることで、K-DOJO内トーナメント(ストロンゲスト-K)に優勝するなどの実績を残した。

国内最大手・新日本プロレスでは、魔界2号なるマスクマンへ変身し、悪役として活躍。新日本プロレスの若きエース・棚橋弘至と激しい抗争を展開、お互いのマスクと髪の毛を掛ける試合へと発展した。惜敗してマスクを獲られたものの、結果として多くのプロレスファンに「筑前りょう太」 の名を刻む好試合となった。

2007年にK-DOJOを退社し、福岡へ帰郷。『NPO法人 九州プロレス』を設立し、理事長に就任した。NPO活動の一環として、週に一度、「フリースクール玄海」の非常勤講師も務めている。1男1女の父としての奮闘を綴ったブログも好評。口癖は「九州を元気にするバイ!」。
  1. 2008/01/01(火) 12:00:00|
  2. 選手紹介

田中純二


“九州プロレス一番山”
田中 純二
<JUNJI TANAKA>



①出身地…福岡県前原市
②身長…174cm
③体重…87kg

④プロレスデビュー戦…
1998年2月7日,茨城・ひたちなか市松戸体育館 対土方隆司

⑤得意技…
箱崎浜(ジャックハマー)、各種サブミッション(関節技)、ランニング・ネックブリーカー・ドロップ

⑥意気込み…
プロレスに戻ってきたことがムダにならんごと生き、九州に田中純二を刻みつける。


⑦寸評…
山笠スタイルで闘う九州プロレス一番山!九州プロレスでは外敵を迎え撃つ特攻隊長的存在。一方で、同年デビューの同期である筑前へのライバル心も強い。

地元高校卒業後、進学のため上京。日本大学在学中にアニマル浜口ジムへ入会。アニマル浜口の信任厚く、トレーナーとしてプロレスラー志望者を教える“鬼コーチ”の役割を務める。

その後、『格闘探偵団バトラーツ』へ入門し、プロレスラーデビュー。マッハ純二、jyunji.com、タナカジュンジ、イナズマ・ジュンジと改名しながら、数多くのプロレス団体へ参戦。その融通の利かない一直線なファイト“バチバチ・スタイル”で活躍した。
2007年、引退試合をおこなわないまま、引退を発表。所属団体の分裂や活動休止を幾度となく経験し、決して恵まれているとは言えないプロレス生活を送った末の決断であった。同年、前原市へ帰郷。

2008年、「九州を元気にしたい」と熱っぽく語る筑前に誘われ、プロレスラーとしての再出発を決意。5月の志免町シーメイト大会にて、TAKAみちのく相手に「再デビュー戦」を敢行。当日のベストバウトとなる闘いを見せ、復活への狼煙を上げた。

九州プロレス道場では、浜口ジム育ちの鬼コーチとして若手を鍛える。数学の教員資格を持つ変わった一面も。
  1. 2008/01/01(火) 11:55:00|
  2. 選手紹介

磁雷矢


“世界忍者”
磁雷矢
<ZIRAIYA>



①出身地…福岡県福岡市
②身長…170cm
③体重…75kg

④プロレスデビュー戦…
1991年12月22日メキシコ、アレナ・ネッサ  対 ラロ・バジェステロス

⑤得意技…
磁雷矢クラッチ、ハリケーン・ボルト

⑥意気込み…
メキシコで培ったルチャリブレの技術を伝承していくと共に、間違ったルチャリブレの認識を変えていく。いずれはルチャリブレ・スクールの開校 を!!


⑦寸評…
メキシコで技術を学んで活躍する和製ルチャ・ドール(メキシコ流プロレス“ルチャ・リブレ”を体得したプロレスラー)の元祖的存在。キャリア20年に迫るベテランとして、九州プロレスでは若手を指導する立場も兼任する。

地元高校卒業後、メキシコ渡航への資金作りのため自衛隊へ入隊。2年後に除隊し、87年にメキシコ行きを実現する。まだメキシコでプロレスラーになるためのノウハウが確立されていない時代。カタコトのスペイン語を駆使して、各地のジムでトレーニングを積む日々を送る。
91年、念願のプロライセンスを取得。日本から来た忍者仮面・ジライヤとして各地を転戦。筑前も含め、メキシコへやってきた和製ルチャ・ドールの卵たちを世話する兄貴分としても、業界内では知られる存在となった。
98年には、SHIIBA(後の筑前)、飛影、ゴクウ(引退)らと共に『ロス・カミカゼス』を結成。メキシコ最大手の団体AAA(トリプレ・ア)と契約し、メキシコ・マットを席巻する悪役グループとして活躍。

12年のメキシコ生活を終え、2000年に帰国。SHIIBA、飛影に加え、MASAMUNE(後の政宗/大阪プロレス)らと共に、フリーレスラーのユニット『ルチャ・リブレ日本』を結成。そのリーダー格として、国内各団体で活躍した。

ここ数年はプロレス・マットから離れる生活を送っていたが、筑前の帰郷と共に活動再開を決意。「本場のルチャ・リブレを伝えていきたい」との想いも強い。

東映『世界忍者戦ジライヤ』公認キャラクター。銃『ジライバスター』と日本刀『磁光真空剣』の入場パフォーマンスは必見。

2009年7月、念願の夢であったルチャリブレ・スクール「エスコラール・レアル・ルチャリブレ」を開校。
  1. 2008/01/01(火) 11:50:45|
  2. 選手紹介

阿蘇山


“躍動する巨大カルデラ”
阿蘇山
<ASOSAN>



①出身地…熊本県阿蘇市
②身長…標高1592m
③体重…計測不能

④プロレスデビュー戦…
2002年11月10日,熊本木材(株)八代支店倉庫 対 西田ヒデキ・つぼ原人
(3WAYマッチ)

⑤得意技…
マグマプレス、ダイビング・万トーン、ヤマカンラナ

⑥意気込み…
九州プロレスはオレに任せんしゃい!でも安心するな!ところ構わず噴火するバイ!


⑦寸評…
人間としてのサイズは183cm、125kgという、まさに山級の巨漢レスラー。
2002年、『みちのくプロレス』マットに突如として出現。以後、『新日本プロレス』や全国の各団体へ度々出場し、九州のご当地マスクマンとして人気を博す。特に、フリーレスラー「つぼ原人」との一戦は、名(迷?)勝負数え唄としてプロレスファンの人気も高い。

コテコテの熊本弁でコミカルな面が強調されがちな阿蘇山だが、本格派の一面も併せ持つ。何しろ「中学から一度も100kgを割ったことがない」(本人談)という恵まれた体格。学生時代は、柔道の強豪として名の知れた存在だったという。事実、学生時代に稽古を付けてもらっていた筑前は、「この人には一生勝てないんじゃないかと思っていた」と語る。

巨体を躍動させて放つドロップキックや万トーン(セントーン)は、阿蘇山の運動能力を雄弁に語る得意技。「合同練習では困るぐらいに元気」(田中純二・談)という底なしの体力もあり、“九州の怪物”としての覚醒に期待がかかる。

2008年5月の志免町シーメイト大会では、弟子の『桜島』を引き連れて登場。「コミカルファイトができて、ケンカも強い」という阿蘇山スタイルの後継者として育成にはヤル気満々。桜島の成長次第では、手が付けられないコンビになりそうだ。

2009年5月、元横綱?曙との一騎打ちが実現。破れはしたが、バックドロップで投げきる偉業を成し遂げる。
  1. 2008/01/01(火) 11:45:00|
  2. 選手紹介

桜島


“若火山”
桜島
<SAKURAJIMA>



①出身地…鹿児島県桜島町
②身長…標高1117m
③体重…計測不能

④プロレスデビュー戦…
2008年5月10日、志免町シーメイト 対 台風 1号、2号 (パートナーは阿蘇山)

⑤得意技…
ぶちかまし、右上手投げ

⑥意気込み…
仕切りから立ったからにゃ前へ出るだけッス。ごっつぁんッ!


⑦寸評…
5月の志免町シーメイト大会(プレ旗揚げ戦)でデビューした新人レスラー。

学生時代は相撲とウエイト・リフティングで鳴らし、ウエイトは全国大会へ出場するほど熱中。大きなお尻と太ももから分かるように得意種目はスクワット。何でも、足腰が強靭な理由は「子供の頃に、いっぱい四股(しこ)を踏んだから」(本人・談)だという。

卒業後、働きながら自主トレーニングに励む日々を送っていたが、格闘技・スポーツへの情熱が捨てがたく、プロレスラーになることを決意。九州プロレス旗揚げの報を聞き、阿蘇山へ弟子入りを直談判した。

入門後、約7ヶ月の練習生期間を経てデビュー。プレ旗揚げ戦では敗れたものの、突っ張りからの相撲ラリアットであわやのシーンを作った。「突進力はあるが、まだカラダの使い方を分かっていない。まだまだこれから」とは師匠・阿蘇山の弁。小柄な選手が増えてきたプロレス界において、100kg(人間サイズで)を超える重量級のホープだけに、これからが楽しみな存在。
  1. 2008/01/01(火) 11:40:35|
  2. 選手紹介
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